池田勇作とその妻郁の経歴:
- 1913年(大正2年)鳥居町に生まれる。鶴岡中学(現鶴岡南高)を中退、電気学校(現東京電機大学)へ。郁は余目長畑の阿部善兵衛家に生まれ、鶴岡高女(鶴岡北高)、日本女子大を経て紀伊国屋書店に勤務。
- 1931年 帰鶴。鶴岡印刷や荘内春秋社に勤務しながらプロレタリア文化運動、著作・演劇活動をするが、思想・言論弾圧に見舞われ、特高による逮捕は4度に及ぶ。この時期の著作には小説や戯曲が14篇あり、演劇活動では、真島敬一らと共に鶴岡演劇協会をはじめとする劇団を次々と発足し、新劇『旅路の終わり』(シェリフ作)を当時一番の繁華街である一日市の鶴岡劇場で自主公演に成功している。こうした活動は18歳から22歳の頃に行なっている。
- 1936年 に再び上京、著作を続ける中で活動休止中の日本共産党の再建運動に妻の郁とともに取り組む。
- 1940年6月25日 特高に2人とも逮捕される。2年半にわたる拷問下の取調の末、治安維持法違反による有罪判決で豊多摩刑務所に収監される。
- 1944年3月13日 に獄死。
- 1945年8月12日 妻の郁は半年にわたる取調の後釈放されるが肺結核の為余目で死亡。敗戦3日前であった。
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