2008年12月31日水曜日

黙祷(2)-1

池田勇作は「牧本 進」などのペンネームでいくつか作品を発表しています。ここに紹介する小説「黙祷(2)」は、昭和8年2月20日の小林多喜ニの特高による虐殺に悲しみと怒りが込み上げる中で、たった一人の労農葬(3月15日)を鶴岡でやろうとしたその日の早朝に、それさえやらせまいとする特高に検束された池田勇作が、その監獄で「多喜ニ」に続くぞ!と決意する場面を作品(ペンネームは浮田新一郎として)にしたものです。なお、掲載した雑誌「荘内の旗」については次の記事で解説します。また、原文を現代仮名づかい、常用漢字に変えて記載し、××で表記の伏字は(註:何々)として表しました。











          黙   祷   (二)               浮田進一郎

 暗い……朝引つぱられて来た時は、何が何だか見分けのつかぬ程暗かったので眼が馴れる迄、余程の時間がかかった……留置所の土間に置かれたぐらぐらの看守の机の上で、顔見知りの支那人の運んで来たそばをガツガツとかっこむと、フッと今食べた支那そばがイヤに気になりだした。
 ――今日帰されないんじやないだろうか……?特高の奴、御世辞に支那そばなんか取りやがって――もしかすると……。不安がつのった。そしてさっき、
「署長は今、客が来て居るそうだから、待っててくれな。昼は支那そばにするか、うどんにするかい?」           そう言って出て行った特高の黒ずんだ脂のういた馬面が平常でなかった、ように思えた。
 今日帰されないとすれば、ガサは逃げられないし十日間の努力も、今朝の計画も目茶苦茶になる訳だった。睡眠不足と過労にすっかり疲れ切った頭は、底の方からヅキンズキンと疼き出し耳鳴りさえし出した。
 こうなると伊藤は自分を此所えつれて来たT巡査(彼は非番勤務だった)の何時もフラリと遊びに来る時に変らない今朝の様子がこにくかった。
「君がいつもと変らない風にして来たもんだから、とうとうのせられた。」
 伊藤が皮肉めいた口調で「警察協会雑誌」に読み耽って居たT巡査をのぞき込むと、如何にも当惑したように笑いながら、
「俺ァ別に……次席から電話で署長が一寸用事だからって来たもんだから……俺をうらむのは無理だよ。」
 と弁解らしく言つて顔をそめた。
 伊藤は自分より四つ五つ年上らしいT巡査の、柄のよい正直者らしい態度を見ると気の毒に思えて憎めなかった。
「冗談だ……」
 伊藤はあわててさう言うとバツ悪そうに頭を掻いた。自分のあさはかなウッ憤のとばっちりを喰したことがひどく後悔された。
 ――すべては自分にあったのではなかったか!「すぐ帰れるだろう」と安易にきめ込んで「錠を下して置け」と佐伯に言って出て来た自分の不注意ではなかったか?何故あの時「あとを片づけろ!」と一言いって来なかったのだ……。戦争ボツ発!以来、××(註:帝国)主義を露骨に前面に押し出して来た支配階級は、その手先の特高警察を使って、どんな恥知らずの行為も平気でやってのける(×(註:虐)殺までを平気でやる)と云ふことを、目で見、耳で聞き、身をもって体験して来た自分ではなかったか?……慙愧の念は、後から後からと湧いて喉をしめつけられるように苦しかった。
 自分を隅から隅まで自己批判するのはいいことだ。だが伊藤は、唯自分を責めるのは何とはなしに仏くさいようにも思えて来て、うす汚ない壁によりかかって、つとめて眠ろうとした。眠さは体中に毒の様に充満して居た。そのために頭も顔もハレ上って居るように思えた。血液は膿汁のように水分を失って血管に淀んで居るのではないか?とも思えた。目蓋は重々しくひとりでにくっついてしまうが、それでも眠れなかった。伊藤は側にある鉛筆をとると看守が見飽きてなげ出した「警察協会雑誌」の裏表紙にコヂックで、
……恨みの日三月十五日同志小林多喜二の労農葬を守れ!憎む可き白テロにデモで逆襲せよ!
 などとスローガンを書きなぐると一寸鉛筆を置いて、
「★三月十五日午後三時一斉に黙祷せよ!」と書きたした。
 看守は目を大きく見張って、その一字々々を見つめて居た。眠れぬいらだたしさから、浮っ調子にこんな文字をならべた不自然さに伊藤はテレて、自分の行為を笑いにまぎらそうとした。が、顔の筋肉がヒッツレて笑いにならなかった。
 ガラッと戸が開いて特高の馬づらが入って来た。「あのなァ」馬づらはそこでチラと監房の中を流し眼で見るとわざと落ちついて「君のところへ『旗』から指令が来てないか」とたづねた。思いがけない此の変な(確かに変だと思った)問いに、伊藤は一寸ためらった。でもすぐ、
「来てない。」と否定した。それは丁度、太鼓がバチで打たれてドンと鳴った様に。
「そんな筈はないよ君、『課』から言って来たんだから。」
「『旗』から指令だつて?そらァ何のことだい。」
特高にしては甚だ不用意な言葉を伊藤はぐんと突いて見たが馬づらは一寸顔をあからめただけで、それには答えずに次の言葉を続けた。
「とにかく君の家を一寸探して見るよ。『課』に報告しなけァいかんからな。」
 来たな!と思うと伊藤はグラグラッと眼まいを感じた。眼の前で「庄内の旗」クローズアップされるとすぐ消えて、その上に「押収」の二字がパッと散ったのを覚えた。口唇は紫色に震えた。
「いいだろう。」馬づらは伊藤の態度を見て取るとニヤニヤしながら、うながした。
 伊藤はなぐりつけたいような衝動にかられた。
「ハタから来た指令を探すためにガサをやるって?変な云い廻しをするなツ。正面からガサやるならやると言ったらどうだ。」
「いや別に……」
「明白じやァねえか、口実だってことは。そんな下手な口実はよしてくれッ。いくら何でも口実なしには、やれねえってなァ――。ワ、ハ、ハ、ハ。」
「見られて悪いか。」
「権力でやるッて云うんだらう。畜生ッ、どうでもしやがれッ!」
 この伊藤のやや自棄的な語気に飲まれたらしく、馬づらは語調を柔げた。
「なに一寸だよ、君は検束だって署長が云うから、なかにはいってて呉れ。」
 そして看守に「入れて置いて呉れ」と小声で言うと、
「一寸見て来るよ。」と、もう一度念を押してサッサと出て行った。
 伊藤はむらむらとなって荒っぽい言葉を吐いた。興憤が去ると口惜しさが胸に迫って来て、居ても立っても居られない衝動にかられ出した。
 ――いっそ此処から逃げ出して「庄内の旗」を奴等の手から守らうか――とも考えて見た。だが、それも今の場合無駄なことだった。
 ――若しかすると佐伯の奴、何処かへ運んだかも知れない――、こんな事にまだ経験の浅い佐伯だから、それもあぶなかしいことだった。
「伊藤ウ、気の毒だなァ。」
 看守のT巡査は、そう言って第一号房の扉を開けた。伊藤は黙って中に入った。
 なかに入ってしばらく横になって居ると、次第に落ちついて、「庄内の旗」第二号を緊急に出すことが此の場合、最も望ましい逆襲の手段であることに気付いた。最初から此の事に気づけば、あんな無駄な焦慮をせずに済んだのだが……。こうして何処までも執拗につきまとふインテリ臭い線の細さが、伊藤には此の上もなく憎かった。
 小林多喜二追悼号として出す第二号の編輯プランなど考えながら、伊藤はトロトロとまどろんだと思うと看守の声に起された。
「伊藤、三時だぜ。」
 看手のT巡査は「警察協会雑誌」に書いた文字を記憶して居たのだろう。親切に時間を教へてくれた。
 伊藤は明治初期の牢獄の様な木の柱の格子から、
「有難う。」
 と言って立ち上がると眼をつむった。東南を向いて――憎むべき白テロの刃にたおれた、見たことのない同志小林多喜二に関連したサマザマのことが、そう馬灯のように頭に浮んでは消えた。
 小林の書いた「一九二八年三月十五日」の中に出てくる「渡」と云う斗士がなぐられ、蹴られ、竹刀で打たれ、しごきで喉をしめられ、幾度も殺されては息を吹きかえし、ガンとして口を割らない「渡」。「お岩」のように変った顔――あの「渡」のように、もっと慘虐な手段に、シャツはちぎれ、血に染まり、肉は赤黒くはれ上っても、最後まで口を割らずに冷たくなった同志小林の姿を思い浮べながら目頭が熱くなるのを覚えた。堪えられない憎悪に、慟哭が喉を突き上げるのを感じた。今日(労農葬)の計画をむざむざ奴等に踏みにじられた口惜しさに、体が前方にツンのめりそうだった。
 ――だが同志小林よ!「庄内の旗」第二号をもって、日常のたゆまざる活動と、取調べに対する無言をもって、俺達は必ずこの東北の一隅に君の鉄の意志を継ぐぞ!
 伊藤はいつまでも黙祷を続けた。                                  ――完――


                                              一九三三、三、二三

                            『庄内の旗』 第壱巻参号(昭和八年六月十三日発行)

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