2009年2月23日月曜日

農民は何を叫んだ! (「荘内春秋」新聞投稿記事)

                                                                 旬刊新聞の「荘内春秋」
が発刊されたのは昭和7
年1月15日でした。      
勇作はこの時18歳ですが編集助手として入社。以後次々と記事を書き続けます。この年5月にはメーデーで活躍し、ついに発行者小澤浩の新聞を去ります。上の写真は記念すべき第一号、右は第7号(3月15日発行)に出た「農民は何を叫んだ!」の記事。なお、この新聞は鶴岡在住の詩人で著名な畠山弘さんが「こんな新聞があるよ」と見せてくださったものです。そこには、池田勇作の活動の出発点が見事に残されていて、大変貴重な発見となりました。感謝。




     農民は何を叫んだ!……東郡弁論会批判         牧本 進 


去る十三日庄農講堂で行われた、東郡聯合青年団弁論会を聴いた。此の農村青年の叫びにたいする感想、批判を述べてみよう。

(註:「庄農」は庄内農業学校のことで現庄内農業高等学校。
「東郡」は東田川郡の略称)

 先づ第一に、主催側の青年に与えた題目をみると次の如くであった。
甲、我等の青年団は斯くありたい。
乙、現下の農村に於いて憂うべきもの。
丙、日支問題と我等青年。
 此の題目は何れも、現下の農村青年に取っては現実的な問題であり、主催者側の意図であろう処の農村青年の思想を聴くには充分な題目と云えよう。
 此の題目の中、乙丙が各拾名で、甲が四名であったが、此の小さい統計の中にも、好戦国民になれ!との支配階級のアジプロが、効果を挙げて居る事実が覗(読み:ウカガウ)われる。そして、此の、丙の問題に対する農村青年の叫びは、何れを取っても新聞記事的戦況報告、及び、支配階級のアジプロに対する、青年的な軽薄な興奮以上に一歩も出て居ないことである。

(註:「日支問題」は日本の支那つまり当時の中華民国に対する侵略戦争=1931年9月18日に鉄道爆破を引き金に引き起こした、所謂「満州事変」についてという意味。なお、支那という呼び名は欧米が中国を秦国に由来のchinaと呼称したのを当時の日本は利用して属国扱いの漢字名で呼称していた。当然のことではあるが、敗戦以降は使わない。いや、使うことを許してはならない。
「アジプロ」はアジテーションとプロパガンダの合成略語で煽動・宣伝の意)

 今や日支戦争を、吾々は、生活の苦しさ、世界的恐慌と切り離して考えることは絶対に不可能であり、根本的な間違いである。然るに、此の問題を取り上げた弁士達は、何れも、全く勇敢にも、現在の農村恐慌と全々切り離して此の事を問題にして居るのだ。
 例えば、苦しい小作の生活の中から、戦争に動員されて行く兵士の事、働き手を奪われた家族の増々苦しい生活、等に対しては一言も触れて居ないし、此度の戦争が、如何なる世界的情勢の下に、如何なる意図を現すものであるか等を深く突込んで批判して居る者も見当らなかった。

 (註:「小作」とは地主から耕作地を借り、小作料(収穫の4割前後)を払ってその土地を自分で耕し、農業を営むこと。また、その人。戦前は一握りの大地主がいて、農民の大部分は小作で、生きるか死ぬかの貧乏生活を強いられていた。)

 乙の問題も、前の如く、戦争と切り離し、単に独立した問題として取り扱って居る処に大きな間違いがある。
 又、東北、北海道の飢餓に対して同じ農民として言及した者は唯一名にすぎなかった。そして大部分は、現在の農民の窮迫、その打開策を抽象的、概念的に取り扱っている。吾々は苦しい、吾々は起たねばならぬ等の言葉を朗読するに過ぎなかった。そして、何の為に農民(主に小作)は苦しいのか、どうして凶作は起きたか?等を具体的に取り上げて、それを打開するにはどうすれば良いかと云う事を全々考えて居ない(封建的地主制度、それを存続せしめ様とするブルジョアジーの政策を××しなければならないのだ)。

  (註:××の伏字は「打破」とか「排除」などが考えられる)

 甲の問題に対しても全く同じだ。
 そこで吾々は、この弁論会に於ける弁士の叫びが果たして農民(地主以外の)自身の叫びであったかと云う事を考えなければならない。
 第一に弁士の過半数は、自作農以上の者ばかりで、此の弁論会が極度に抑圧されたもので農民の自主的な会でない。農民の真の叫びは意識的に弾圧されるのだ。その為に、これ等の叫びは、真の農民のではないのだ。然し、単に農民の真の叫びでないからと放棄することは出来ない。吾々は如何に反動文化(雑誌、ラジオ、映画、劇)のアジプロが農村青年を害して居るかと云う一面を見落としてはならないのだ。そして、之等の反動文化の影響から農民を引き離して吾々の正しい文化を押し進めねばならない。それは唯、反動文化との決定的な闘争に依ってのみ可能である事を知らねばならぬ。
                                                         (完)

 これが18歳の若者の記事なのですから驚きです。最後のところで、プロレタリア文化運動で「闘争」し封建的地主制度から小作農を解放しようとする想いが打ち出されていて感動さえします。
 次回は、やはり「荘内春秋」からスポーツの階級性についての啓蒙記事をご紹介します。

2009年2月17日火曜日

お知らせ(2009.02.17)

「池田勇作」に関する調査で明日から数日の間旅に出ることをお許しください。来週の月曜日(2月23日)に新聞への投稿記事「農民は何を叫んだ! ・・・・ 東郡弁論会批判」をお伝えしたいと考えています。この牧本進名の作品は既刊の「魂の道標へー池田勇作と郁の軌跡」にも記載されていないものです。ご期待ください。

2009年2月10日火曜日

小説「女工」-その2

 註 「荘内新報」昭和8年3月21日付の記事:愛国山形号という戦闘機を二機
も労働者に、税金以外にも国の戦争遂行に協力させるために「山形」でも岩手
や 福島、全国どこでもやったように「軍用機を県民の力で寄付で買って天皇の
軍隊 で使ってもらおう」という官製の声を作り上げこれに応じないものは非国
民呼ば わりして労働者のなけなしの給料から更に収奪を強行し、上の新聞に
よれば十 万円(約1億円相当か)以上集めて二機買い求めたのであった。
 それでは、小説「女工」の続きをお読みください。

   (二)

 午後の工場は操音をぬう様に「愛国山形号」(註:上の新聞記事参照)の話が
飛び散って居た。
 みんなは汗をふきふき手を休めづに口から泡をとばした。山中から出て来た豊
乃と云う十七になったばかりの娘は、口を蛸の様にとげて、得意になって叫んで
居た。
「飛行機二台、くッどオー。ちうげえりや、きのはげえすもすッどオーやアー。すん
ぶんさ、けえであったどうオー。」
 そして「オッととど」と、あわててハタを止めた。
 子持ちの年寄達は学校で子供等が「愛国山形号万才」と字のかっこうに列を
造 るそうだと云うことや、何処の町会では幾ら寄付したとか、「今間様」(註:鶴
岡にあった農機具メーカーの前身今間機械の社長)では千 円(註:約百万円
相当であろう)も寄 付したとか云うことを、自分のことの様な顔で話し合った。
そんな話は お終い迄行 かないで、きっと途切れた。その度にハタが止った。
 マサ江はお昼前よりも一層苦しかった。体が苦しくなると盛に糸が切れた。
夢中 でギアーを引いて、指先をなめては糸を結ぼうとするが、糸がボヤケて思
う様に ならなかった。いらいらして唇をぎっと噛むが糸が十本にも二十本にも
見えた。 「あさ」にはしよっちゅう新しい「くだ」を入れ替えねばならなかった。そ
れが三台 だから堪らない。一台を結んで居るうちに次の奴が切れたのを知ら
ずに居ると、 せっかく織れたのを、丹念にほぐして結ばねばならなかった。そ
んな時には「此の まま倒れてしまった方がいい。」とも思ったりしたが、フッと腎
臓で床について居る お袋の顔が頭に浮ぶと、「これではいけない」と足をふん
ばった。
「愛国号の羽根のチヨッピリぐれえは、おらアたちのもんよオー。」
 誰かが叫んだので皆んな声の方を向いた。ミチ子と話して居る事のある芳江
だった。
 マサ江は芳江の言葉の意味が解った様な解らないような気持ちでブルルンと
頭を振った。そして、
「春代さアん、窓あけてくんない?」
 と隣の春代に云ったが、力のぬけた彼女の声は、三間と離れない春代にとど
かないで繰音にかき消された。
「マサちやん、なアーにーよオ―?」
「窓、あ、け、て、く、れ、な、いーって云うの。」
「ああ窓?広田(監督)の奴に、が鳴られっぞオ―。」
 春代は男のような言葉で、いけないと手を振った。
「いいから、あたし、とてもこらえられないのオー。」
 マサ江はそれだけ云って下ッ腹がヘトヘトになった。
「駄目、駄目、あたしがどやされんだから、あの助平野郎にサアー。」
 マサ江はあきらめて黙った。
 春代は結んだ糸のはしにほっぺたをくっけて、カチンと噛み切った。
「チエッ、糸が悪いのに、糊つけまでこんなざまだ。」
 糸の切れるのはマサ江だけでなかった。みんな後れ毛をなで上げては指先を
なめた。それでも皆は出来るだけ自分の糸のきれるのをかくした。唯、割に若い
女工根性のしみてない娘はブツブツ不平を鳴した。中には泣く娘さえあった。そ
んな時には大部分の者がせせら笑った。他の者が糸の切れて困って居るのを
見て小気味よく思った。
 出来高払いで、皆んなの競争心をそそって能率を上げ、女工の団結を防止し
ようとして居る会社の策動には気づかずに、ただやたらに意地ッ子になって居た。
「自分さえ多く織れば、……。」みんなそう云う気持ちだった。
 マサ江は織り出される純白の絹地が自分の頭に覆おいかむさって来た、と思
うとボーッと目先がかすんで、クラクラッとめまいが来た。夢中でハタを止めると、
其の上にうつぶしてしまった。
「マサ江さアーん、どうしたアー。」
 周囲の者が驚いて声をかけたが、すぐそつくさとハタに手をはこんで、側に来
て労わろうとする者はなかった。
 その時、廊下の方から広田がげびたしわがれ声でが鳴りながらやって来た。
「おめえらアー、愛国号オーもうぢき来るでエー、屋根に上れエー、万才やるん
だぞオー。」
 キヤツ金切り声が上った。繰音はピタリと止んだ。女工はワイワイ廊下の方
に流れた。
「このオあまアー、サボリあがってエー。」
 マサ江はハツとして体を起した。見ると監督の広田が、眞裸にズボン一つで、
つっ立って居た。マサ江は蛇に向はれた蛙の様に肩をすぼめて頭をペコンと
下げた。
「す、み、ま、せ、ん。」
 それだけで精一ぱいだった。
「このあまアー、織れねえと思ってだらサボリあがってエー、今日はビリだぞっ」
 マサ江は月末に貼り出される成績表の事が頭に浮んだ。本当にビリにされた
ら、それこそ女工仲間からは「のけもの」にされるし、成績がよくても二三ヶ月は
ビリで居なければならなかった。それに成績は殆ど監督の意志で決められた。
「持ち物」(贈りもの)をよくすればどうにでもなった(マサ江は、そんな事は決し
て良い事でもないし、自分などは出来ない事だと考へて居た。)が此の場は、あ
やまるより外になかった。
「体ア、具合悪いもんで、……。」
「具ぐ合えエーわりイ?手××××(註:卑猥な隠語を伏字にしたのであろう)した
だろう、マサア、おらアと今夜どうだ。」
 広田はマサ江の肩をグッと引き寄せようとしたッ。
「バ、バカアッ」
 マサ江は広田の太い腕をはらうと夢中で皆の後から走った。
 後の方で、かすかに広田の罵声が聞えた様な気がした。
「マサアーおぼえてろーツ」
 非常出口を出るとフーフー息を切らして梯子に足をかけた。足はピツと張って、
膝を折る度にピリツ、ピリツとしびれる様に痛んだ。中程迄上った時、拍手と万
才の声がドッと起った。
――ばアん、ざアーい。
――ワアー
 梯子をぎっしり握ったまま、マサ江はその声に、ひどく自分が侮辱された様な
気がして、急に泣き出しそうな顔をした。それが何故だか自分にも分らなかった。
そして、ソッと「ミッちやァん!」と大声でミチ子を呼んでみたい衝動にかられた。
 愛国山形号が再び女工達の頭の上に来ると、みんなはもう一度、「ば、ん、ざ
ァーい」と叫んだ。女工達は、片づをのんで「宙返り」や「木の葉返し」を今か今か
と待って居たが、西の山のてっぺんに、黒い点の様に消えると、飛行機は再び
戻って来なかった。
 みんなは変に空虚な気持ちになった。だまされた様な気もして訳も解らずに興
奮して大声を出した事が馬鹿らしくなった。皆んなの目は何処を見るともなく第二
工場の屋根に白墨で書かれた、「祝山形号」「健斗を祈る」の眞白な大字と新し
い三畳敷き位の「日の丸」の旗にそそがれて居た。
 その目は忿懣に燃えて居た。
                                          ―未完―
                                   一九三三、五、二三
              『庄内の旗』第壱巻第参号(昭和八年六月十三日発表)

2009年2月4日水曜日

小説「女工」-その1




小説「女工」は池田勇作が牧本進のペンネームで、先に紹介した雑誌「荘内の旗」に発表した作品です。右にその作品の一部をコピーしたものを紹介しています。下の頁の挿絵はmakiとサインがありますので勇作が書き入れたものです。上の、窓から手を振る絵も、まづは、勇作の描いたものと思われます。この雑誌が発行されたのは昭和8年6月です。この頃は斉藤秀一や荘司徳太郎などのかつての仲間も弾圧の嵐の中で心ならづも社会運動から身を引いてい
ていて、プロレタリア文化運動は鶴岡ではほとんど勇作一人でやっていた、と思われます。したがって、この雑誌のガリきり(註:ガリ版印刷の用語で、文字や絵を鑢の上で鉄筆を使って表面がロウで覆われている印刷用原紙からロウを擦り取ってそこからインクがにじみ出るようにする作業のこと)は、多分、一人でやったと思われます。先に紹介した表紙もmakiのサインがありますし、すべての頁の字体は同一ですので間違いないでしょう。それでも、頼めば寄稿してくれる人が何人かはいることに励まされ、自からも三つの作品(黙祷二、女工、山田清三郎訪問記)を載せ、他に、署名はないが彼にしか書けないと考えられる報告文などもあって、まさに獅子奮迅の活躍ぶりが見えてきます。
 この雑誌が発行された昭和8年は、昭和4年に始まる経済恐慌の影響がより一層庶民の生活を圧迫し続けていて、失業者は数百万人、当時米作が全てという東北では冷害が大凶作を引き起こしたことも重なって娘を売春の地獄に売り飛ばす事例が続出するという悲惨な社会状況でした。軍国主義の天皇制政府は満州事変を引き起こし中国に傀儡政権の植民地・満州国をでっちあげて資源を奪い、土地を中国農民から取り上げ、北海道・東北・信越の農民の不満のガス抜きに満蒙開拓団を30万人も送りこんだ時代です。工場労働者のストライキには警察だけでなく軍隊すらつぎ込んで弾圧し治安維持法違反としてその指導者など中心人物を昭和6,7,8の3年間で4万近くも投獄しています。それでも政治批判の運動は絶えることがなかったのです。池田勇作はその時代に鶴岡で、彼の文学で戦っていたのです。「女工」の主人公は当時鶴岡の産業の中心だった絹織物工業で働く織り方の女性労働者です。鶴岡市内には織物会社が20社程あり女工数は2000人にもなっていました。その労働条件は劣悪そのものでしたし、工場環境も」最悪でした。
 あまり前置きが長いと面白くなくなってしまうかもしれません。この続きは「女工」が終わったところで、ということにして、まずは「女工」を紹介します。2回分けてお読み願うことにします。
                   女  工                 牧本 進
   
             (一)

  今から、こんなに暑かったら、機械(註:ハタと読む)の前でブツ倒れる者が毎日出るかも知れない。マサ江は三台のハタの間を、つんのめるように行き来しながらそう思った。
 未だやっと五月の半なかば過ぎなのに、眞夏のような太陽がトタン屋根を通して、三棟の亀岡織物株式会社第二工場をうだらして居た。ガ―ツと云う連続的な繰音と一棟に人のひといきれが、空気の通はない工場の中にムンムンと立ち込めて、にえくり返るようだった。誰もかも、よごれたハンケチや手拭で盛んに顔をふいた。拭っても拭っても、目といわづ口といわづ、しよっぱい汗が流れ込んだ。みんなはフウフウ云ってハタの間を歩き廻つた。
 マサ江は頭のシンが、ヅキンヅキン痛んで、時々ブルッツと全身に震いが来た。その度自分はこのまま倒れるのでないかと思った。脂汗で体がべトべトした。ボーが鳴ると、さつきからそればかし待つて居たのでホツと救はれた気がした。そしてすぐハタを止めようとしたが、ためらって周囲を見た。向うの方で二三人止めたのを見るとマサ江は思い切って止めた。
 女工達は一時間の晝休みも三十分はハタを止めなかった。出来高払だし、単価が二三年前から一錢も上らないので、一分でも余計に働かねば暮しに追ツっかなかつた。殊に腕の悪い女工や夫の持って居る女工は、ホンの晝食を食う時間だけハタを止めた。
 マサ江は弁当をひろげたが喉に通りそうもないので、ミチ子を誘って外へ出ようと思って第二工場の方に行くと、便所の入口の黒板に大勢集つてワイワイさわいで居た。
 ミチ子がマサ江を見つけて人だまりから出て来た。
「マサ江さん、愛国山形号来るんだって。」
 とニコニコしながらそう言って、マサ江の元気のない顔に気がつくと、
「どうしたの、どっか悪いんぢやない?」
 と心配そうにたづねた。マサ江は少し気分が悪いから外へ出ようとうながした。ミチ子はすぐ応じてくれた。ひとだまりの中で原料部の房江が、
「本日午后二時三十分から五十分迄二十分間、愛国山形号歓迎の為休憩する。合図したら直ぐ屋上に上れ、但し合図までは絶対に仕事怠らぬことォー。」
 と主任の大井の声色を眞似て黒板の記事を読み上げたので、ドツと笑い声が起った。
 二人は、寄宿舎と第三工場(原料部)とに挟まれた空き地の、紅葉の木の下に腰を下した。
「で、あれはどう?あるの?」
 ミチ子にそう聞かれるとマサ江は困った様な顔をして、
「うぅん、ないの、何時もなら明日でお終いなんだけど。」
 と言って、ほっぺたがカアツとほてるのを覚えた。
   き―み―と、かたろうオ――、ま―ど―に――
   ポ―プラ―は晴れや―かに、ゆらぐウ―― 
 原料部の窓で、ジヤズの加代(そうあだ名されて居た)が金魚のような口を開けて唄って居たが、二人を見つけると、
「ヨオー似合ったっぞうー、こーいーびーと――。」
 と叫んだので二三人が加代子のそばから首をつん出した。
「ひとの恋路に邪魔する奴ァぶたに喰はれてエー死んでしまへ――。」
 そう言ってミチ子は大声で「ワハ、ハ、ハ、ハ」と笑った。
「イーイダァ」、と「あかんべー」して「ジヤズの加代」はぴよこんと顔をすっこめた。
   わかい はァる、やさし はァる、恋のオうーた――
   くうろい、ひ、と、み、にはァ
   よオ、ろオ、こオ、びイ――、…… 
 あとには唄声だけが流れて居た。
「マサちやん、大井さんに話して休んだらどう?悪くなったら大変よ。」
「だけど、……」
「そうね、此の頃は一日休んでも暮しにピンと来るんだから。病気ほど恐ろしいものないわ、……」
「それに此の月は、成績がとっても悪いの、まだ十五六匹よ。」
「それア此の頃は、あんただけじやないの、糸が悪いのよ。みんなホケて織れやしないわ。人絹なんかと来たらまるでね、……。それでッて追い廻すんだから、誰だって体アこはすのは当り前よ。いくら契約の期限に遅れると損するからって、その責任を女工に負わせるなんてしどいわ、ね、そう思はない?」
 その一言ひとことがマサ江の心にピンと来た。
 体の奥の奥にあった熱い固りが急に体中に一っぱいに拡がって行くような気がした。血の気のあせた唇が、かすかにふるえたのが見えた。
「そう思ふわ。」
 言ってしまうとマサ江は、言ってはならないことを口にした様に周囲をキョトキョトながめ廻すと、うつむいて無精にクローバの葉をちぎっては捨てた。
「いいんだわ、マサちやん。こんな話外の人に聞かれない方がね。」
 マサ江は、此の人は何処迄いい人だろう。こんな人が女工の中に居るなんて、と不思議にも思へた。
 一週間程前、始めて工場の帰りに一緒になった時からすぐに、とても好きになったのだが、今は自分を支へて居る大きな力にさへ思えた。
「マサちやん、ほんとに無理しないでね。もし困ったらわたし、あなたの分も働いたげるからね。」
「えぇ、ありがとう。わたし大丈夫よ。」
 マサ江の胸は熱いものにグッとつまつた。二人は立ち上つて、パチパチとおしりのちりを払った。
(前半の部、終わり。次回は後半の部です)