2009年2月10日火曜日

小説「女工」-その2

 註 「荘内新報」昭和8年3月21日付の記事:愛国山形号という戦闘機を二機
も労働者に、税金以外にも国の戦争遂行に協力させるために「山形」でも岩手
や 福島、全国どこでもやったように「軍用機を県民の力で寄付で買って天皇の
軍隊 で使ってもらおう」という官製の声を作り上げこれに応じないものは非国
民呼ば わりして労働者のなけなしの給料から更に収奪を強行し、上の新聞に
よれば十 万円(約1億円相当か)以上集めて二機買い求めたのであった。
 それでは、小説「女工」の続きをお読みください。

   (二)

 午後の工場は操音をぬう様に「愛国山形号」(註:上の新聞記事参照)の話が
飛び散って居た。
 みんなは汗をふきふき手を休めづに口から泡をとばした。山中から出て来た豊
乃と云う十七になったばかりの娘は、口を蛸の様にとげて、得意になって叫んで
居た。
「飛行機二台、くッどオー。ちうげえりや、きのはげえすもすッどオーやアー。すん
ぶんさ、けえであったどうオー。」
 そして「オッととど」と、あわててハタを止めた。
 子持ちの年寄達は学校で子供等が「愛国山形号万才」と字のかっこうに列を
造 るそうだと云うことや、何処の町会では幾ら寄付したとか、「今間様」(註:鶴
岡にあった農機具メーカーの前身今間機械の社長)では千 円(註:約百万円
相当であろう)も寄 付したとか云うことを、自分のことの様な顔で話し合った。
そんな話は お終い迄行 かないで、きっと途切れた。その度にハタが止った。
 マサ江はお昼前よりも一層苦しかった。体が苦しくなると盛に糸が切れた。
夢中 でギアーを引いて、指先をなめては糸を結ぼうとするが、糸がボヤケて思
う様に ならなかった。いらいらして唇をぎっと噛むが糸が十本にも二十本にも
見えた。 「あさ」にはしよっちゅう新しい「くだ」を入れ替えねばならなかった。そ
れが三台 だから堪らない。一台を結んで居るうちに次の奴が切れたのを知ら
ずに居ると、 せっかく織れたのを、丹念にほぐして結ばねばならなかった。そ
んな時には「此の まま倒れてしまった方がいい。」とも思ったりしたが、フッと腎
臓で床について居る お袋の顔が頭に浮ぶと、「これではいけない」と足をふん
ばった。
「愛国号の羽根のチヨッピリぐれえは、おらアたちのもんよオー。」
 誰かが叫んだので皆んな声の方を向いた。ミチ子と話して居る事のある芳江
だった。
 マサ江は芳江の言葉の意味が解った様な解らないような気持ちでブルルンと
頭を振った。そして、
「春代さアん、窓あけてくんない?」
 と隣の春代に云ったが、力のぬけた彼女の声は、三間と離れない春代にとど
かないで繰音にかき消された。
「マサちやん、なアーにーよオ―?」
「窓、あ、け、て、く、れ、な、いーって云うの。」
「ああ窓?広田(監督)の奴に、が鳴られっぞオ―。」
 春代は男のような言葉で、いけないと手を振った。
「いいから、あたし、とてもこらえられないのオー。」
 マサ江はそれだけ云って下ッ腹がヘトヘトになった。
「駄目、駄目、あたしがどやされんだから、あの助平野郎にサアー。」
 マサ江はあきらめて黙った。
 春代は結んだ糸のはしにほっぺたをくっけて、カチンと噛み切った。
「チエッ、糸が悪いのに、糊つけまでこんなざまだ。」
 糸の切れるのはマサ江だけでなかった。みんな後れ毛をなで上げては指先を
なめた。それでも皆は出来るだけ自分の糸のきれるのをかくした。唯、割に若い
女工根性のしみてない娘はブツブツ不平を鳴した。中には泣く娘さえあった。そ
んな時には大部分の者がせせら笑った。他の者が糸の切れて困って居るのを
見て小気味よく思った。
 出来高払いで、皆んなの競争心をそそって能率を上げ、女工の団結を防止し
ようとして居る会社の策動には気づかずに、ただやたらに意地ッ子になって居た。
「自分さえ多く織れば、……。」みんなそう云う気持ちだった。
 マサ江は織り出される純白の絹地が自分の頭に覆おいかむさって来た、と思
うとボーッと目先がかすんで、クラクラッとめまいが来た。夢中でハタを止めると、
其の上にうつぶしてしまった。
「マサ江さアーん、どうしたアー。」
 周囲の者が驚いて声をかけたが、すぐそつくさとハタに手をはこんで、側に来
て労わろうとする者はなかった。
 その時、廊下の方から広田がげびたしわがれ声でが鳴りながらやって来た。
「おめえらアー、愛国号オーもうぢき来るでエー、屋根に上れエー、万才やるん
だぞオー。」
 キヤツ金切り声が上った。繰音はピタリと止んだ。女工はワイワイ廊下の方
に流れた。
「このオあまアー、サボリあがってエー。」
 マサ江はハツとして体を起した。見ると監督の広田が、眞裸にズボン一つで、
つっ立って居た。マサ江は蛇に向はれた蛙の様に肩をすぼめて頭をペコンと
下げた。
「す、み、ま、せ、ん。」
 それだけで精一ぱいだった。
「このあまアー、織れねえと思ってだらサボリあがってエー、今日はビリだぞっ」
 マサ江は月末に貼り出される成績表の事が頭に浮んだ。本当にビリにされた
ら、それこそ女工仲間からは「のけもの」にされるし、成績がよくても二三ヶ月は
ビリで居なければならなかった。それに成績は殆ど監督の意志で決められた。
「持ち物」(贈りもの)をよくすればどうにでもなった(マサ江は、そんな事は決し
て良い事でもないし、自分などは出来ない事だと考へて居た。)が此の場は、あ
やまるより外になかった。
「体ア、具合悪いもんで、……。」
「具ぐ合えエーわりイ?手××××(註:卑猥な隠語を伏字にしたのであろう)した
だろう、マサア、おらアと今夜どうだ。」
 広田はマサ江の肩をグッと引き寄せようとしたッ。
「バ、バカアッ」
 マサ江は広田の太い腕をはらうと夢中で皆の後から走った。
 後の方で、かすかに広田の罵声が聞えた様な気がした。
「マサアーおぼえてろーツ」
 非常出口を出るとフーフー息を切らして梯子に足をかけた。足はピツと張って、
膝を折る度にピリツ、ピリツとしびれる様に痛んだ。中程迄上った時、拍手と万
才の声がドッと起った。
――ばアん、ざアーい。
――ワアー
 梯子をぎっしり握ったまま、マサ江はその声に、ひどく自分が侮辱された様な
気がして、急に泣き出しそうな顔をした。それが何故だか自分にも分らなかった。
そして、ソッと「ミッちやァん!」と大声でミチ子を呼んでみたい衝動にかられた。
 愛国山形号が再び女工達の頭の上に来ると、みんなはもう一度、「ば、ん、ざ
ァーい」と叫んだ。女工達は、片づをのんで「宙返り」や「木の葉返し」を今か今か
と待って居たが、西の山のてっぺんに、黒い点の様に消えると、飛行機は再び
戻って来なかった。
 みんなは変に空虚な気持ちになった。だまされた様な気もして訳も解らずに興
奮して大声を出した事が馬鹿らしくなった。皆んなの目は何処を見るともなく第二
工場の屋根に白墨で書かれた、「祝山形号」「健斗を祈る」の眞白な大字と新し
い三畳敷き位の「日の丸」の旗にそそがれて居た。
 その目は忿懣に燃えて居た。
                                          ―未完―
                                   一九三三、五、二三
              『庄内の旗』第壱巻第参号(昭和八年六月十三日発表)

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