2009年2月4日水曜日

小説「女工」-その1




小説「女工」は池田勇作が牧本進のペンネームで、先に紹介した雑誌「荘内の旗」に発表した作品です。右にその作品の一部をコピーしたものを紹介しています。下の頁の挿絵はmakiとサインがありますので勇作が書き入れたものです。上の、窓から手を振る絵も、まづは、勇作の描いたものと思われます。この雑誌が発行されたのは昭和8年6月です。この頃は斉藤秀一や荘司徳太郎などのかつての仲間も弾圧の嵐の中で心ならづも社会運動から身を引いてい
ていて、プロレタリア文化運動は鶴岡ではほとんど勇作一人でやっていた、と思われます。したがって、この雑誌のガリきり(註:ガリ版印刷の用語で、文字や絵を鑢の上で鉄筆を使って表面がロウで覆われている印刷用原紙からロウを擦り取ってそこからインクがにじみ出るようにする作業のこと)は、多分、一人でやったと思われます。先に紹介した表紙もmakiのサインがありますし、すべての頁の字体は同一ですので間違いないでしょう。それでも、頼めば寄稿してくれる人が何人かはいることに励まされ、自からも三つの作品(黙祷二、女工、山田清三郎訪問記)を載せ、他に、署名はないが彼にしか書けないと考えられる報告文などもあって、まさに獅子奮迅の活躍ぶりが見えてきます。
 この雑誌が発行された昭和8年は、昭和4年に始まる経済恐慌の影響がより一層庶民の生活を圧迫し続けていて、失業者は数百万人、当時米作が全てという東北では冷害が大凶作を引き起こしたことも重なって娘を売春の地獄に売り飛ばす事例が続出するという悲惨な社会状況でした。軍国主義の天皇制政府は満州事変を引き起こし中国に傀儡政権の植民地・満州国をでっちあげて資源を奪い、土地を中国農民から取り上げ、北海道・東北・信越の農民の不満のガス抜きに満蒙開拓団を30万人も送りこんだ時代です。工場労働者のストライキには警察だけでなく軍隊すらつぎ込んで弾圧し治安維持法違反としてその指導者など中心人物を昭和6,7,8の3年間で4万近くも投獄しています。それでも政治批判の運動は絶えることがなかったのです。池田勇作はその時代に鶴岡で、彼の文学で戦っていたのです。「女工」の主人公は当時鶴岡の産業の中心だった絹織物工業で働く織り方の女性労働者です。鶴岡市内には織物会社が20社程あり女工数は2000人にもなっていました。その労働条件は劣悪そのものでしたし、工場環境も」最悪でした。
 あまり前置きが長いと面白くなくなってしまうかもしれません。この続きは「女工」が終わったところで、ということにして、まずは「女工」を紹介します。2回分けてお読み願うことにします。
                   女  工                 牧本 進
   
             (一)

  今から、こんなに暑かったら、機械(註:ハタと読む)の前でブツ倒れる者が毎日出るかも知れない。マサ江は三台のハタの間を、つんのめるように行き来しながらそう思った。
 未だやっと五月の半なかば過ぎなのに、眞夏のような太陽がトタン屋根を通して、三棟の亀岡織物株式会社第二工場をうだらして居た。ガ―ツと云う連続的な繰音と一棟に人のひといきれが、空気の通はない工場の中にムンムンと立ち込めて、にえくり返るようだった。誰もかも、よごれたハンケチや手拭で盛んに顔をふいた。拭っても拭っても、目といわづ口といわづ、しよっぱい汗が流れ込んだ。みんなはフウフウ云ってハタの間を歩き廻つた。
 マサ江は頭のシンが、ヅキンヅキン痛んで、時々ブルッツと全身に震いが来た。その度自分はこのまま倒れるのでないかと思った。脂汗で体がべトべトした。ボーが鳴ると、さつきからそればかし待つて居たのでホツと救はれた気がした。そしてすぐハタを止めようとしたが、ためらって周囲を見た。向うの方で二三人止めたのを見るとマサ江は思い切って止めた。
 女工達は一時間の晝休みも三十分はハタを止めなかった。出来高払だし、単価が二三年前から一錢も上らないので、一分でも余計に働かねば暮しに追ツっかなかつた。殊に腕の悪い女工や夫の持って居る女工は、ホンの晝食を食う時間だけハタを止めた。
 マサ江は弁当をひろげたが喉に通りそうもないので、ミチ子を誘って外へ出ようと思って第二工場の方に行くと、便所の入口の黒板に大勢集つてワイワイさわいで居た。
 ミチ子がマサ江を見つけて人だまりから出て来た。
「マサ江さん、愛国山形号来るんだって。」
 とニコニコしながらそう言って、マサ江の元気のない顔に気がつくと、
「どうしたの、どっか悪いんぢやない?」
 と心配そうにたづねた。マサ江は少し気分が悪いから外へ出ようとうながした。ミチ子はすぐ応じてくれた。ひとだまりの中で原料部の房江が、
「本日午后二時三十分から五十分迄二十分間、愛国山形号歓迎の為休憩する。合図したら直ぐ屋上に上れ、但し合図までは絶対に仕事怠らぬことォー。」
 と主任の大井の声色を眞似て黒板の記事を読み上げたので、ドツと笑い声が起った。
 二人は、寄宿舎と第三工場(原料部)とに挟まれた空き地の、紅葉の木の下に腰を下した。
「で、あれはどう?あるの?」
 ミチ子にそう聞かれるとマサ江は困った様な顔をして、
「うぅん、ないの、何時もなら明日でお終いなんだけど。」
 と言って、ほっぺたがカアツとほてるのを覚えた。
   き―み―と、かたろうオ――、ま―ど―に――
   ポ―プラ―は晴れや―かに、ゆらぐウ―― 
 原料部の窓で、ジヤズの加代(そうあだ名されて居た)が金魚のような口を開けて唄って居たが、二人を見つけると、
「ヨオー似合ったっぞうー、こーいーびーと――。」
 と叫んだので二三人が加代子のそばから首をつん出した。
「ひとの恋路に邪魔する奴ァぶたに喰はれてエー死んでしまへ――。」
 そう言ってミチ子は大声で「ワハ、ハ、ハ、ハ」と笑った。
「イーイダァ」、と「あかんべー」して「ジヤズの加代」はぴよこんと顔をすっこめた。
   わかい はァる、やさし はァる、恋のオうーた――
   くうろい、ひ、と、み、にはァ
   よオ、ろオ、こオ、びイ――、…… 
 あとには唄声だけが流れて居た。
「マサちやん、大井さんに話して休んだらどう?悪くなったら大変よ。」
「だけど、……」
「そうね、此の頃は一日休んでも暮しにピンと来るんだから。病気ほど恐ろしいものないわ、……」
「それに此の月は、成績がとっても悪いの、まだ十五六匹よ。」
「それア此の頃は、あんただけじやないの、糸が悪いのよ。みんなホケて織れやしないわ。人絹なんかと来たらまるでね、……。それでッて追い廻すんだから、誰だって体アこはすのは当り前よ。いくら契約の期限に遅れると損するからって、その責任を女工に負わせるなんてしどいわ、ね、そう思はない?」
 その一言ひとことがマサ江の心にピンと来た。
 体の奥の奥にあった熱い固りが急に体中に一っぱいに拡がって行くような気がした。血の気のあせた唇が、かすかにふるえたのが見えた。
「そう思ふわ。」
 言ってしまうとマサ江は、言ってはならないことを口にした様に周囲をキョトキョトながめ廻すと、うつむいて無精にクローバの葉をちぎっては捨てた。
「いいんだわ、マサちやん。こんな話外の人に聞かれない方がね。」
 マサ江は、此の人は何処迄いい人だろう。こんな人が女工の中に居るなんて、と不思議にも思へた。
 一週間程前、始めて工場の帰りに一緒になった時からすぐに、とても好きになったのだが、今は自分を支へて居る大きな力にさへ思えた。
「マサちやん、ほんとに無理しないでね。もし困ったらわたし、あなたの分も働いたげるからね。」
「えぇ、ありがとう。わたし大丈夫よ。」
 マサ江の胸は熱いものにグッとつまつた。二人は立ち上つて、パチパチとおしりのちりを払った。
(前半の部、終わり。次回は後半の部です)

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