2009年1月29日木曜日

「発禁」処分について

この画像は戯曲「遺族」が発表された雑誌「鍬と銃」です。国会図書館所蔵「発禁図書目録ー1945年以前ー」(この存在はほとんど知られていない)とか「旧函架図書発禁本(特500、501番台)資料目録」で丹念に調べて、ラッキーにも、この雑誌は見つけられました。「ラッキーにも」と表現した理由は、発禁本は旧内務省警保局(発禁権限を持っていたところ。ただし、日米開戦以降には実質的に警視庁特高課が握っていました)で正規に処分されたものは警保局と帝国図書館つまり現国会図書館に保存されることになっていたのですが、これとは別に特高には正規の分と闇で押収した分もありましたし警保局自体に図書館送りをしていない記載もしてあったかどうかわからない発禁本が山ほどあったあったわけですし、その警保局の物は進駐軍が全部米国議会図書館に接収してしまっていたのですから、まさに氷山の一角からの発見だったのです。戦前の暗黒時代に消された文学などの貴重な財産を知るために米国議会図書館に消えた発禁本の完全な返却が望まれます。
 上に上げた写真をよく見てみてください。右側は表紙です。写真が下手で不鮮明ですが、中央上方の角印は帝国図書館蔵と読めます。右上端には函の欄に安寧とあり号は825で永久保存としています。また、その左には禁安1-564(おそらく発禁理由が安寧違反で、その番号を記載してあるのでしょう、抹消の線引きが残っています)と特500-353(戦後に整理した旧函架図書番号)が見えます。左側は見開きですがここにインク書きで8.8.3 禁止とあります。これは昭和8年8月3日に禁止決定を示したものでしょう。この「鍬と銃」は昭和8年7月30日印刷で8月5日発行ですので、実に素早い決定と言えますし表紙を見ただけでの決定だっとも言えます。こういう形で闇に消えたプロレタリア文学、経済学、社会科学などの貴重な書物が無数にあったのだ、と考えると残念でなりません。憲法9条を守ることがいかに大切であるか、「発禁」の歴史からも明らかであると考えますが、みなさん如何ですか。
 
 ところで、「遺族」と「黙祷(2)」を読んでの感想や疑問などなんでもどうぞお寄せください。
 次回からは小説「女工」を2回に分けて発表します。じっくりとお読みください。

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