池田勇作がペンネーム牧本進で1933年6月発表したこの作品は、掲載した雑誌「プロレタリア戯曲叢書・第五輯 鍬と銃 -★八月一日のための反戦小脚本集」(コップ日本プロレタリア演劇同盟レパアトリイ委員会・編、1933.7.20発行)が内務省警保局と特高によって発行と同時に「発禁」(註:発行・発売禁止)処分され闇の中に閉じ込められていましたが戦後1988年7月発禁図書の山の中から発掘され「日本プロレタリア文学集・37」(新日本出版)に作者来歴不詳のまま掲載され世に出てきたものです。その後2007年3月13日(註:3.13は作者の命日)に「魂の道標へー池田勇作と郁の軌跡」で作者の本名、その生涯が明らかにされたのです。底本の「鍬と銃」記載の解説によれば「八・一国際反戦デーを迎える世界プロレタリアート農民諸君へ贈られた私たちの心からなる革命的挨拶」として全国に募集し、それに応じた約十五編の内で「遺族」は「地方から応募された中で最も優れていた」とあります。そして、先述の「日本プロレタリア文学集・37」には「ドラマは、一方では、息子の勝を赤紙にとられて戦死させた母お兼の変化をとらえつつ、他方では、農民たちが組合に結集して、闘いに立ち上がる変化を描いている」とあります。
先に掲載の作品「黙祷(二)」は小林多喜二の虐殺(2月20日)の労農祭の日に特高によって予防拘禁された時に抱いた決意を表明したものですが、この「遺族」は、まさに、「ーだが同志小林よ! 俺たちは必ずこの東北の一隅に君の鉄の意志を継ぐぞ!」、を実践する珠玉の作品であった、と思っています。この作品は三景構成ですので、みなさんからじっくりとご鑑賞願えるように、一景づつ掲載していきます。どうぞよろしく。
遺 族 三景 牧本 進
時 一九三三年五月中旬
所 或る農村
人 母 お兼(註:おかね) 六十近い婆
娘 好江 十九歳
仁吉 二十四歳
源助 五十二歳
作造 四十九歳
宗吉 四十五歳
謹六 四十二歳
茂太 三十二歳
洋服の男 二十七歳
第一景 作造の家
第二景 お兼の家
第三景 お兼の家
第一景 作造の家
炉を囲んで作造と源が話して居る。外は夕方のざわめきに包まれて居
る。
源助 ・・・・・・あの氣丈なお兼婆アも、勝発ってしまうと氣イ抜けた様になった
には驚いたもんだ。
作造 赤(註:徴兵令の赤紙)来た時にはびっくりして、勝発つまでは何だ彼
だで気も立ってたろが、行かれて見ると大黒柱だもんな。
源助 地主の加賀で、祝儀だちンで米一俵よこしたちゆうでねえが?
作造 それがよ、お前え、あたりのもンは組合だちて、なんぼ立っていた所で
貰って見れば有難えだろ って影口ついだで、勝の奴ア怒って婆ア連れて
加賀に返へしに行ったちゆう話だで。
源助 ふゝゝゝ勝も未だ若えからのオ。それにしても村の者は組合、組合って
まるで眼の仇きしてるでねえが。ほんに困ったもんだ。受持ちの旦那で、
組合へ入るど、ろぐなことをどって、ふれて歩くちゆ う話しだし。
作造 ほんに困るどきは組合で、風の吹きよが変るどこんだは眼の仇きだ、
そんでも今に眼さめる時くんべえ、今年あたり肥料(註:コエ)入れねえも
んがおらア村に五六人に出たからな、今年は石灰でもまいて間に合うだ
ろが来年なったらどうすンだで。
源助 お上では自力更生のなんのつて、金肥入れねえで間に合はせろちた
処で、作悪りい事知って、誰が、糞汲む暇つぶされるもんでねえ、そげな
事云う位えなら豆粕でも硫 安でも馬鹿気た値つけんといゝだ。
作造 ほうだともよ、満州国出来た云うから、うんとこさう安うなるべえ思うと
ったらこの態だ。これがお前長びいてみろ、どえれえこんになるど、あろ
うだって来年の肥どうするだ思うと、ほんに咽しめられる思いだ、黙って
居だら百姓ァ飢え死にだもんな。
源助 ほんにさ、俺アもそれ考る、氣狂えになりてえ位えだけんど、組合ち
ゆうもんがなんぼなんでもあるうちは、おらア希望(註:ノゾミ)断たねえだ。
作造 仁吉、おそえでねえか―ほだほだ、あらね(註:庄内地方のあられ菓
子)でもいるべえ。(立ち上 って去る)
仁吉入って来る。
仁吉 おそうなってすまねえ。
源助 おう仁吉さ、待ってただ。
作造、あらねいりと小鉢を持って戻って来る。
作造 どうしただろって話した処だ。
仁吉 ほんまにすまねえだ、俺アおやじ死なれたで、仕末おくれから今日肥
料入れてしまおうと思ってな。
源助 ほんに仁吉はせいが出んのう、若えに似あわず感心なもんだ。
作造 いゝ嫁早よう貰はにやサ何時迄一人で置かれるもんかよ。(あらねを
いり始める)
仁吉 ハゝゝゝ父っつあん、嫁え貰ったら嬶アの干乾し出来ッぞオー。
源助と作造声を揃へて笑うが、その言葉が冗談でない事に気づくと眞
顔に返って行く。
源助 仁吉さ、おめえの処で肥料どの位え入れただ。
仁吉 肥料け、俺ア田は猫のひてえ(額)位えだけんど、五円(註:米価換算
では約6千円)当りやっとこさよ、一俵なんて及ばねえこんだ。
作造 ほうさ、おれん処じや四円当りにおっつかめえよ、おらが村全体にし
た処で五円当り入れるとこ ろたんとあんめえ。
仁吉 村田みよな、若勢の三郎と、おやじ工面した肥料買う米かつツらって
かけ落しだど、おやじ気狂え見てえに喚えでるってよ。
源助 それァ ほんとけ。
仁吉 うん、来がけに勝うのおっ母アに面ア出したら云っつてただ。
作造 (あらねいりを投げ出して)なんてごった、三郎も三郎だがみよもみよ
だ。おやじほんに気狂えなるべえ。
源助 親不孝野郎だ、あの面して、男の味知っただか、ヘッ、おやじ殺して
も足りながんべ。
仁吉 父っつあん、おらアほん考へさせられただ、馳け落ちだって、ほんに
馬鹿なこったけんどもよ、みよばっかり攻められねえこんだ。
作造 ほうだ、三郎悪りいだ、あの野郎うめえこと云ってだましただ、あの
野郎・・・・・・
仁吉 父っつあん、三郎ばっかりでもねえだよ、俺アこんなこと云うと若え
者に味方だ云うか知んねえけんど、若けもんにして見れば、何一つ楽
しみなるこどねえだ、見てえもの見られるわけでねえ、買いでえ物買は
れるでねえ。ほんだから、間違った考え起すだ。
源助 それも、そうだけんど、どうになんねえこんでねえかよ、悪りい時は
悪りいもんだ、息子取られるし、娘馳け落ちだ。
仁吉 父っつあん、それは、どうになんねえこんだかも分かんねえけんど、
組合でも強くなって、若えもん集めて、間違はねえ智恵つけたら、なン
ぼでも助かんべえ思うだ。
作造 ほうだ、仁吉さ云うこんに間違えねえだ、なんちたとこで組合え大き
くするこんだ。
源助 おらァ良く分かんねえけんど、組合え大きくするこんには不服ねえだ。
俺ア思い出すだ。昨年の争議の前え迄あ、若けえもんも、町に遊びせ
えあまり行かなかっただ。余り遊ぶと仲間アはずされる云うてな。
作造 ほうよ、おらァも昨年の事思うと、裏切った奴等のこと思うと、意地イ
なるだ。――おらア生きだとこで長えことはね、喰う為め斗って監獄さ入
える位え――とな。
源助 ほうだ、裏切った奴等、そ、それ恐しかゝっただ、な、ほんに勝う等の
こと思うたら、そげな恥知らず出来るもんでねえだ。
仁吉 お父う達年取った者が、そう云う気だもん、俺ア達若えもんがどうし
て黙って居られるべえ。勝うも安心して働かれると云うもんだ、(追憶す
る様につぶやく)・・・・・・あの日、町の停車場の便所ン処で云ってただ。
俺ア満州さ行ったら、兵隊の中さ、組合こさへで、戦さやめさせて見せ
るど、村のことは、たのんだでッてな、今頃は勝うもきっと・・・・・・(言葉
がつまる。)
瞬時の間沈黙がつづく。
仁吉 (思い出した様に)おゝえれえ暇取っただ。勝うのおツ母ア話では、
好坊とこ返えした方えゝ云うてただ。
作造 俺ァも、そう考えただ、雇い掛けるって見た所で、婆ァ人置かれる
もんでねえからな。
仁吉 それァそうだけんど、おめん、好江返すにァ金いるべえ。
作造 成程な。
仁吉 其処ン処を、会社に願って、何とか年賦にでもシて貰ふより他に
仕様があんめえよ。
作造 うん、ほうだ、其処はお前え、唯事じやねえ戦さに取られたんだか
ら無理とは云はめえよ。
源助 たゞでも返して貰いてえだが、会社にしたとこで、戦さのためだ云
うた処で、ましやくに合はねえ事はシンめえしな。
作造 そげなこと誰するもんでねえ、とにかく仁吉さ行って話つけて貰う
より道はねえだ。
源助 御苦労だけんど、俺ァ達は会社のもんになんぞとは話もろくに出
来ねえでな。
仁吉 俺ァ行かねばなんめえ、年寄りに苦労かけられるもんでねえ、ほ
んで旅費はどうすべえ。
その時戸口を押し開けて、お兼が飛び込んでくる。三人は驚いて立
ち上る。
お兼 た、田ン甫取りに来ただ。(入口を指差す)
仁吉 おッ母ア、田甫取りに来だど?
お兼 うん、支配人の大井来ただ、勝う居なくなったから、千刈(註:一町
歩ー約1haのこと)は多すぎるがら半分よこせ云うだ。
仁吉 ほうが、畜生、弱味につけ込んで、おッ母アそいで返事しただか?
お兼 しねえだ、誰が誰が田アやられるもンでねえ。
作造 婆ァそんで大井どう云つただ。
お兼 源助居るがア、聞いだがら、しんねえ云ったら考えて置け云って出
て居っただ、そんでおらア走 って来たゞ。
源助 婆ァ、ほんとけ。
お兼うなずく。
作造 おらがァとこへも来ンべえ。
仁吉 とうとうやる気だな。
作造 俺ァ達もっと強けれアな。
源助 そ、それァ、卑怯と云うもんだ。
お兼 勝う、勝さへ居たら。
三人 畜生ッ。
-暗轉-
(第一景終わり。次回は第二景です。ご期待ください)
ブログ開設おめでとうございます!
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