2009年1月7日水曜日

池田勇作の妻ー郁についてーその1

池田郁は夫勇作と共に壊滅状態(昭和10年3月の弾圧で組織的機能停止)の日本共産党を再建しようと昭和12年末から活動をしていました。しかし、同じ仲間の一人、伊藤律からの情報で昭和15年6月25日特高に検挙されてしまいました。郁さんはその年末まで、恐らく残虐な拷問が行われるなかで、特高の取調べを受けた上、不起訴処分で釈放されます。このとき彼女は身体を弱めてしまいます。釈放後、元の勤め先の紀伊国屋書店洋書部に復職し夫の釈放を待ちますが勇作は大審院で治安維持法違反有罪(昭和18年6月22日;懲役2年6月)が確定し、重篤な肺結核でありながら豊多磨刑務所に収監され、昭和19年3月13日喀血獄死してしまいます。失意と結核という病気を連れて、故郷余目(山形県東田川郡、現庄内町)に戻りますが、敗戦の3日前昭和20年8月12日父母の下でさびしく死んでいったのです。この郁さんの生い立ちについては次回、わかっていることを紹介します。ただ、本当に残念なことなのですが、彼女が日本共産党再建運動でどのような活動をしたのかについてはわかっていません。また、彼女の文芸的才能は短歌の世界にあったと、夫の獄死に直面したときに詠んだ惜別の歌(いづれ紹介します)も想像されるのですが、作品集や日記が見つけられていません。どなたか情報があればお寄せください。

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